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竹島 Blog 13/「あなたは奇跡の治療家になりたいですか?」

  この質問をされたら、治療家なら誰でも「はい。」と答えるでしょう。誰もが一度は憧れる「奇跡の治療家」。他の治療家がどれだけやっても治らないケースを自分が担当したら一度で治った、または「他のどの先生に見せても全くダメだったのに、あなたのおかげで治りました。」と言われてみたい、等々。

 これらを全く悪いことだとは思いませんが、あまりこの気持ちを強く持ちすぎると施術の方向性が曲がる可能性は出てくる、と思います。

 

 基本的に奇跡の数とは、その人の実力に応じて、効果的に起こるらしいのです。効果の対象とは、その人の人生そのものやその人の属する社会に、ということです。そして、「実力」とは、本人の普段からの心がけ、努力、実績等が融合されたもの、となります。つまり何もしないで、奇蹟体験ばかりを期待しても無意味で、そういうことを考えるくらいなら、普段から継続した努力をしていることが当然、前提として必要、ということになります。そして、その努力している姿を見た神様が「そろそろこの人の人生に必要か」と思ったのなら、まれに象徴的に奇跡が起こったりする、というわけです。奇跡も象徴的でなければ、効果が半減してしまうのでしょうね。

 

 ですからまずは、なぜ自分は奇跡を求めるのか、その心はどこからきているのか、を深く分析しないといけません。意外にもマイナスの思いから来ている場合もあります。

自信のなさ、嫉妬心、自己顕示欲、虚栄心、等々。

 自分に否定的で、その割に他人に認められたい人というのはその反動で奇跡体験を多く望んでしまうのかもしれませんね。

 

 話は変わりますが、私は患者様を施術する際に、自分が治していると考えたことは一度もありません。基本的に、「患者様の中にある自己治癒力を引き出しているに過ぎない。」「その方の健康へのお手伝いをしているに過ぎない。」と考えて施術しています。つまり、治療家だけの力で患者様が回復するということはなく、患者様ご自身の力こそが治る元になっている、治療家の施術とはその自己治癒力を引き出すツールの役割を果たしているに過ぎない、と考えています。 

 

 多くの患者様のお話を伺っていて、お薬の服用や痛み止めの注射では、完全に回復されることは少ないようです。これはきっとまだまだ他人任せだからですね。この物を使えば治る、という単純な考えだけでは不完全なのだと思います。多くの方が潜在的にこのことに気付いておられますが、だからといってこの先をどうすればいいのかわからないでいるのでしょう。もちろん薬や注射にも自己治癒力を引き出す力はあると思いますが、そこに患者様の「心」がプラスされないと効果は半減すると思います。病気を愛する心から回復したい心へ転化しなくてはいけません。回復したい心とは、誰にも同情を求めない心です。「自分はここを痛めたから、生活が不都合なんだ。」という思いから、「なぜ痛めたのか、本当に回復しないのか、薬から自然療法まで何でも試して、もしも治ったならば他の同じように困っている人にも教えてあげよう。」といったマイナスをプラスに転化する精神が症状を作らない心となります。この考え方ならば、たとえ診断名がついた人でも、健康である、という理屈が通るようになってきます。 

 

 薬についても否定しているのではありません。例えば私が風邪などをひいて、薬を服用する際は、薬の力を否定せず受け入れる、と決めて飲みます。大げさですが、自分と薬の力を合わせて、治る方向性を一致させるようにしますね。結局回復のためには自らの「心」の方向性を確かめて、そこに薬や注射の力を借りて、それをプラスしていく、ことが大切になるかと考えてしまいます。この時に副作用などを心配して否定してしまうと、薬も効果が十分には出ませんよね。

 

 話を纏めると、「奇跡の治療」とは治療家本人の実力に応じてまれに出ることもある、くらいに思うことが重要で、それよりも普段からのたゆまぬ努力の方が圧倒的に大切である。そして施術とは、治療家一人で完結するものではなく、患者様の生命力を引き出すツールに過ぎないもの、である。そして患者様ご自身も奇跡の治療家を探すのもよいが、それより自らの「心」を振り返り、回復したいと心から願って努力しているか、人任せになっていないか、の考え方が大切である、ということにしておきましょう。

 

結局、施術する側も、される側も、奇跡を望まず、真面目に地道にが一番、ということになってきます。しかしこれらが症状を回復させていく上で、基本であるが重要な考え方、になってくると思うんですね。

 

非常に僭越ながら、私見ですのでご容赦を。

 

ナチュラルケア水道橋外来センター

文:竹島