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竹島 Blog 7/人生は一冊の問題集

 悩みのない人生を歩んでいる方はいないだろうと思います。どの方も、大小様々な悩み、苦しみをもって過ごされていると思います。

私の信条とするものですが、人生を肯定的に考えられる言葉の一つに「人生は一冊の問題集」という言葉があります。
これはどういうことかというと、「その人が当たらなくてはいけない問題にまさに当たっている」ということです。あなたはその問題が自分には大きくて、苦しくてどうにもならないと思っているかもしれませんが、その問題はその人にとって丁度良いものである、ということです。悩んでいる皆さんが問題に向き合って、問題を解かなければその人自身が成長できないという、丁度良い問題集が各人の人生に用意されていて、あなたは今まさにその問題にあたっている、ということなんです。

自分と他人は同じ問題集をもっていません。どんなに仲のよい友人でも皆一人一人違う個性で生きていて、別人です。だから抱えている課題が違うので、皆自分だけの問題集を持っていることになり、その問題は本人固有のものということになります。つまりはご本人にしか解けないようになっているのです。

こんなに立派な方が、こんなに明るい方が、と一見悩みがなさそうに見える人でも実は劣等感をもっていたり、他人を僻んでいたり、一生罪の意識から逃れられなくなっていたりするものです。そういう方は何年間も一人で悶々と悩んだり、あちこちに行って相談したり、占ってもらったりしても、何か違うな、と思われているのではないでしょうか。一旦は心が楽になるアドバイスを受けても、またその問題が頭をもたげる。根本から解決した感じがしないからスッキリしない。そのうち何に悩んでいるのかわからなくなって体調不良になる、など。

 

問題に対し正面から対処する方法が毎回正しいとは限りませんが、基本的には逃げないで立ち向かう精神が必要だろうと思います。皆さんの生き方に一定の強さがなければいけないと思うんですね。立ち向かい方にも様々あって、じっくり考える、問題の相手と話し合ってみる、本などを読んで勉強してみる、他人の話を参考にしてみる、気長に行くことにする、少し時間をおいて考えてみる、散々苦しんだから努力して忘れる、など段階や程度はいろいろでしょう。

また、どの方も経験あるとは思いますが、その問題が大きいから逃げてみよう、無視してみよう、(無意識に)病気になってみよう、といくら逃避しようとしても問題は追いかけてきます。一度は逃げられても心は覚えているので、後悔や反省や罪悪感などがついてきて、問題に挑まなかった場合は一定の苦しみが残ると思います。逆を言えば問題に対処しようと決心した場合には、その時点ですでに問題は整理されていますので、問題から逃げていた時期より苦しみは半減します(まだ問題解決していなくても)。逃げれば追いかけてくるのに、対処しようと決心すると苦しみは半減するのです。

そして立ち向かうといっても、すぐに解決できない問題はたくさんあると思います。例えば「家族が病気でこの先何年その家族の面倒を見なければいけないのか、わからない。」とか、「自分は悪くないのに社内で責任を負わされて左遷された。果たしていつ本社復帰ができるかわからない。」など長期に渡る苦しみもあると思います。人間は周りの人間の影響を受けて生きている部分もあるので、一見、他人の状況に迷惑をかけられたように感じることもあります。

 

しかし古い言葉ですが、転んだところからが人生と言われています。どのように転んだかは重要ではありません。どのように立ち上がったかが重要ということになります。これがわかるだけでも悩む時間の半分はなくなります。どうしてあの時気づかなかったのか、どうしてあいつに騙されたのか、など「理由」の部分は悩まなくてよくなるからです。今の問題は、なるべくしてなった、と捉えた方が無難でしょう。

先の問題の例について、どちらの例を取ったとしても、長期でのタフ性が人生を回復させていくことになると考えます。つまり、前の例においては、人の看病をする機会を得られたことに感謝して献身的になれるか、が一種の修行ということになります。一人の病人が出てそのご家族を守っていくことは、周りの人間の愛の精神を鍛える絶好の機会となるんですね。もちろん病気のご本人にとっても忍耐の修行です。そして、看病とは大変です。現実の金銭的、時間的、体力的な問題に制約される中で常に工夫しつつ、純粋な気持ちを保つことは一種の菩薩業になってくると思います。長期での強さも必要でしょうし、悩み過ぎない楽観的な部分も必要だろうと思います。

後者の問題についても、会社ではよくある話です。組織には一定の悪が許されている部分があり、様々な利害関係の中で問題のない人に責任が押し付けられることは珍しくありません。その時に責任を取らされる方は最初、その状況を呪うでしょう。仕方ない、と言える人でも心の中は平和ではないと思います。

もちろん、なぜ人に陥れられたのかは反省する必要はあります。細かく情報は得ていたのか、人間関係は上手くやっていたのか、業務は正しく判断できていたのか、など点検項目はたくさんあるでしょう。さらに深く、人間として徳は積んでいたのか、利己主義ではなかったか、自分に正義はあったのか、なども反省項目に入ってきます。

様々な理由がある中で、自分が落ちた、という状況になった時それは受け入れるしかありません。受け入れたらそこからが本番となります。人の本質とは、立場を一段落とされた時によくわかると言われています。その人が一つ立場を落とされた時に破滅的になるのか、仕方ないと受け止めて自分なりに人生を再構築できるのか、または今までよりもっと積極的に生きてより良い人生を作っていこうとするのか、このどれを選ぶかでその後の人生が変わってきます。

 

つまりは「転ぶ石」はあらかじめ人生の中で用意されていて、それによって転んだ事実よりも、その対処法が大事なんだということです。理由はそこに「魂の成長」があるからです。ですから問題が起きたら、まずそれを肯定することが大切です。そしてそれを分析して、できることとできないことを分けて、ここは頑張る、ここは流れに身を任せる、ここは一旦忘れる、と整理して気持ちをクリアにする努力が必要です。大概悩みの数が3つ以上になってくると頭で考えられなくなって、なんかぼーっとする、とか体調が悪いとか、慢性的な不調に陥ってきます。頭は認識できなくても体が覚えているのでしょうね。そこについて整理しないと永遠にそのままなのです。結局は自分で戦うしかない、という結論になります。

そして与えられる問題の難易度について、「(その人に)解けない問題は与えられない。」という言葉はまさに当たっていると思います。神様は皆さんに少しだけ重い荷物背負わせますが、それがその人の魂の成長を考えると丁度よい重さなのだそうです。ですから難しい問題に当たっている人ほど、人格としてのレベルが高いのかもしれません。

というわけで、とりあえず解決方法はわからなくても、今の悩みを肯定してみてはいかがでしょうか。逃げたり無視したりするのではなく、嫌がらないで問題を受け止めてみましょう。そして覚悟をもって、悩みを分析してみればいいと思います。どこまでが解決可能で、どこからがどうにもならないことをただ悩んでいるだけなのか。解決には手段は何があるのか、解決のためにはどのくらい犠牲を払わなくてはいけないのか、周りに相談したのか、解決のための情報は模索しているのか、どうにもならない感情なら、いったん考える時間を減らしてみたらよいのではないか、など。

すでに何年間も悩まれていたとしても、同じことを繰り返し何百回も考えている場合が多いんですね。究極的な苦しみを何百回も味わうことで自分を苦しめているケースが多いのです。

今回は「悩み」という難しい問題について概念的な説明をしました。
悩む時期が過ぎて数年経ってからいろいろわかることも出てくるかと思いますが、すべての問題はあなたにとって必要なこと、ということです。

個別の問題についても機会があれば例を上げてご説明していきたいと思います。

 

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文:竹島